文化財保護法
第三十三条 重要文化財の全部又は一部が滅失し、若しくはき損し、又はこれを亡失し、若しくは盗み取られたときは、所有者(管理責任者又は管理団体がある場合は、その者)は、文部科学省令の定める事項を記載した書面をもつて、その事実を知つた日から十日以内に文化庁長官に届け出なければならない
11月3日文化の日、午後5時頃、私の携帯が鳴りました。
電話は「名古屋城の石垣のき損を隠蔽している」という情報提供でした。
私は、この電話の内容が全く信用できませんでした。
なぜなら今年の3月前代未聞の文化財き損事故が発生した際、観光文化交流局長さんが胸を張って確実な再発防止策を作る、と答弁したのですから、そのような隠蔽をするはずがない、と思ったからです。
しかし念のため、私はある方を通じて、11月6日に、名古屋城の担当者に、「新たなき損がありましたか」と、聞いてもらいました。
名古屋城の担当者は、「心当たりはありません」と返事はしたものの、少し前にモルタルが落ちた事はありました、と、意味深な事を告げたそうです。
私も少し気になったので、私も名古屋城の担当者を呼んで、直接「き損ありませんね」って確認しました。
そしたら、少し前に石垣に充填してあったモルタルが落ちた、ということがあり、文化財保護室に報告したが、文化庁にき損届を出したかどうか、今は把握していない、とのことでした。
11月13日に教育委員会にき損の経緯と内容をメールで送っていただきました。そこには文化財保護室から「き損届」を出すよう指示、と書かれていましたので、電話で「き損届」について尋ねてみると、き損事故が発生した翌日の10月15日には名古屋城に対して「き損届」の提出を指示したけど、レスポンスが悪く、8回程度の催促をしている、とのことでした。
このパネルにあるように、調査時にモルタルが落下した「き損事故」は、10月14日に起こっています。
しかしよく見てください。文化庁に電話で一報を入れたのが11月16日、き損届を文化庁に郵送したのが11月17日となっています。
前代未聞と言われた「き損事故」の際には事故が起こった後、すみやかに文化庁に一報を入れ10日以内にき損届が提出できているのに、今回は1か月以上、一報さえ入れなかった。
再発防止策を作ってまだ3か月しかたっていないのに、なぜこのようなことが起きたのでしょう。
さらに11月18日に、名古屋城と文化財保護室長でない方を呼び話を聞くと、新たなき損事故が発生した翌週以降、き損に関する会議や全体整備検討会議、さらに監査委員による「き損。再発防止策」をテーマにした監査があったにもかかわらず、一言の報告すらありませんでした。これには監査委員の名古屋城が大好きな岩本たかひろ議員も憤慨していました。
また驚くべきはこの間に新幹線に乗って文化庁にまで、それも「き損」の話で行ったにもかかわらず、この新たに文化財を「き損」したことは一切、報告しませんでした。
これほど報告する機会があったのに、全く報告をしないのは、なぜでしょう。
さらに耳を疑ったのは、他に棄損はないの、と聞いたら、実は10月9日頃にも石垣そのものが劣化により崩れる、という「き損」があった、と言いしました。
当然、「き損届」は提出されていません。
最初に文化財のき損があったか、と、聞いた時、なぜ、名古屋城と保護室長は文化財じゃないから大したことはないと思っているモルタルを教え、本物の石垣が「き損」したことを言わなかったのか。通常であればモルタルよりも石垣の棄損を報告するはずだ。
なお、新たなき損があったことを教育長は文化財保護室長がすでに11月11日に進達書を作っているにもかかわらず11月16日までまったく知らなかったし、市長にいたってはさらに遅い11月19日です。知っていたのはその時点では観光文化交流局長だけ。
先回の前代未聞の文化財き損が発生した際、我が党の伊神議員が、「犯罪」とまで、声を荒げて指摘した「き損」を再び起こしたにもかかわらず、市長も教育長も1か月以上、まったく知らされていなかったことは、組織として大きな問題だと思います。
そこで所管副市長である廣澤副市長にお尋ねしますが、あなたは、いつ、誰からこの新たなき損事故の事を聞いたのか、お答えください。
次に、文化庁に提出する市長名の「き損届」ですが、その日付が問題です。
先ほど、市長が報告を受けたのは19日だと言いましたが、「き損届」の日付は、なんと10日も早い11月10日の日付となっています。
もちろん、このき損届は文化財保護室には10日に提出されていましたが、文化庁に「き損届」を提出するに当たって、進達書を作成すべき教育長は、文化財保護室長から11月16日まで報告をもらえず、さらに市長は提出したことすら知らなかったことになります。
そしてこれが、名古屋城が作成した顛末書です。(顛末書)
この部分、「複数の課室にわたるやり取りの中で手間取ったことにより、届出の法定期限を遵守することができなかった。」とあります。
この手間取ったとされるやり取りは、10月23日と11月6日の2日間だけ、いずれも数行の事務連絡のような内容ですし、「き損届」は、わずか数ページで、ほとんどが写真と配置図であることを考えると、何も手間取ったように見えない。
なお、名古屋城の担当者は、再発防止策を作ったら、かえって煩雑になって、時間がかかった、と言ってましたが、そうだとすると、今後の棄損届は1か月以上かかるから、法律違反が繰り返されるということですか。
そんな再発防止策であれば、10日以内に文化庁にき損届が提出できるように、すぐにでも改訂版を作る必要がある、ということを指摘しておきます。
また、顛末書には、はっきりと「法定期限を遵守することができなかった」と法律違反を認めていますし、再発防止策には、名古屋城の優秀な学芸員に対し、文化財保護法の基礎である「き損届」の法定届出期間について教育するという記載までありますが、いまさら教育すると聞いたら文化庁は、なんと思うでしょう。
さらに不思議なのは、「き損届」の日付が11月10日なのに「顛末書」の日付が11月16日になっていることです。
本来、法定期間の10日を過ぎて「き損届」を提出する場合は「顛末書」を添付して文化庁に提出する必要があるため、同時期に作成するはずです。
同時に作成していれば少なくとも11月10日には文化庁に提出できたのに、今回はなぜ、1週間も間が空いたのか、この空白の1週間には、何か意味があるのでしょうか。
観光文化交流局の職員は「き損届」「顛末書」という順番で作成する、とか言ってましたが、台風による「き損」については、「き損届」と「顛末書」は、同じ11月16日に作成されていました。
そしてこの日付は、私がモルタルの落下を指摘したより後となります。
もしかしたら私に指摘されて、慌てて「き損届」と「顛末書」を作成した、ということなのでしょうか。
いずれにしても、今回の文化財き損に対する対応は、謎ばかりです。
何が原因で隠蔽と疑われる対応になったのか、怠慢だったのか、誰かが恣意的に判断したのか、明確に調査をすべきと考えますが、廣澤副市長に責任ある答弁を求めます。
次に、天守閣を木造で復元する場合の基本的な考え方について確認したいと思います。
一口に「復元」といいますが、文化庁の基準には、「復元」と「復元的整備」という2つの考え方があります。
名古屋城の天守閣を木造にするにあたっても、この基準に沿って検討する必要があることは言うまでもありませんが、果たして今の名古屋市の検討内容がこうした基準に合っているのか、疑問です。
まず「復元」の基準を見ると、「当時の規模・構造・形式等により、遺跡の真上に当該建築物その他の工作物を再現する」とされています。
市長が木造復元を始めた頃は、史実に忠実に内部構造を変えずに、人が背負ってのぼる方法などでバリアフリーを考えていたので、いわゆる「復元」を念頭に置いていたと感じられました。
一方「復元的整備」とは、規模や構造など、史実の一部を変更したり、当時の資料が残っていない部分を推定して再現できる基準、となります。
現状を見る限り、1年半前から、築造当時とは違う基礎構造や、史実と違う地下構造や意匠を変更してのバリアフリーの導入が検討されていますので、これは、文化庁の基準でいう「復元的整備」だと思います。
現体制になって、「復元的整備に」に方針を変えたのか、以前のままの「復元」をめざすのか、市長さんの考えをお聞かせください。
以上で、私の第一回目の質問を終わります。
顛末書の内容 文化庁長官宛て
1 き損の 経緯
令和2 年 10 月 14 日、名古屋城大天守台石垣北面にて、レーダー探査を行
っていたところ、堀底から約 3m のところにあるモルタルの一部( 8 × 8cm
が落下した。
調査に先駆けて、天守台石垣北面に、長さ15 m・幅 3.5 m・高さ 9 mの調査
用足場を設置し、レーダー探査は、足場最上階から石垣に接するようアンテナ
部分を降下させて行った。
探査の際に機器に付属する送受信アンテナが、 足場 2 層目を降下している
際に 石垣面 から突出したモルタルとアンテナまたはケーブルもしくはロープ
が接触し、破片の落下を招いたと思われる。
2 き損届遅延の 要因
現状確認後、き損届手続きに入り、 この時点で迅速な処置に心がける必要が
あるところ、史跡の現状変更許可申請と同様に 慎重に 手続き 行う方に重心をか
け、なおかつ複数 の課室 にわたるやりとりの中で手間取ったことにより、届出
の法定期限を遵守することができ なかった。また、 さらに処置が他の業務より、
後回しになったため、き損届の提出が遅延することとなった。
3 再発防止策再発防止策
かような事態を引き起こしたことを深く反省し、
かような事態を引き起こしたことを深く反省し、対策として届出の法定期限対策として届出の法定期限の趣旨をの趣旨を全職員が全職員が十分理解す十分理解するるよう教育を徹底し、関係職員間で迅速な情報のよう教育を徹底し、関係職員間で迅速な情報の共有と周知を図り、届出の法定期限を遵守共有と周知を図り、届出の法定期限を遵守し、遅延のない進捗管理及びき損届し、遅延のない進捗管理及びき損届のファイルを新設して、関係書類の管理を行いますのファイルを新設して、関係書類の管理を行います。。
答弁
廣澤副市長
・名古屋城天守石垣における新たなき損事故について二点のお尋ねを頂きました。
・今回のき損事故につきましては顛末書にも記載してございますが、文化財保護法に定める、事故発生から10日以内という届出期間を大幅に過ぎてからの文化庁への報告となりましたことをまずもって深くお詫び申し上げます。
・私がいつ誰から聞いたか、についてでございますが、私が本件を認識いたしましたのは、11月19日午後に浅井議員からお電話でお聞きしたのが最初でございます。
・次に、観光文化交流局と教育委員会の間のやりとりですが、議員ご指摘のように、緊密とは言い難い実態、「き損届」だけでなく「顛末書」のやりとりも含めて事実関係を確かめる必要があると考えております。
大変申し訳ございませんが、私自身、一週間程前に浅井議員からお聞きするまで本件の存在を把握しておりませんでした。 ・その後、観光文化交流局の職員からヒアリングを行いましたが、まだ全容を把握できておらず、疑問な点も多々残っておりますので、本日ここで全てを明確にお答えすることはできません。文化財保護法に定める届出期間を守れなかったことを重く受け止め、事実関係を含めて詳細に調査し、改めるべき点があれば速やかに改善するよう、観光文化交流局、教育委員会に対し指示してまいりたいと存じます。
市長答弁
◎「復元」と「復元的整備」について
・「復元」が、歴史時代の建築物その他の工作物の遺跡に基づき、当時の規模・構造・形式等により、遺跡の直上に当該建築物その他の工作物を再現する行為であるのに対し、「復元的整備」は、史跡の利活用の観点等から、規模、材料、内部・外部の意匠・構造等の一部を変更して再現すること、あるいは歴史的建造物の規模、材料、内部・外部の意匠・構造等の一部について、学術的な調査を尽くしても史資料が十分に揃わない場合に、それらを多角的に検証して再現することで、史跡等全体の保存・活用を推進する行為、と定義されています。
・私としては、史資料が豊富に残されている名古屋城の天守におきましては、「復元」しか考えておりません。
意見・要望
それぞれご答弁、ありがとうございました。
市長、どうですか。今の体制で木造復元が前に進むんでしょうか。
11日保護室長は先のき損とは大分状況が違うと思うと言った。私はき損に大きいも小さいもない思う。先のき損の反省がみじんも感じられない。
こんな状態ではそのうち名古屋市に文化財の管理は任せられない、と、文化庁から言われないか、とても不安です。
市長は今回のき損について、モルタルは文化財ではない、とか、大したことないのに騒いでいるだけ、という報告を受けているかも知れません。
文化財かどうか、「き損届」の提出が必要かどうか、微妙な場合は、文化庁も詳細を聞いてから最終的に提出が必要かどうか判断するんですよ。
しかし今回は文化財保護室長が1か月も経ってから文化庁に「き損届」を提出します、と報告した際に、文化庁から「承知した」とだけ言われているんですよ。
文化財の棄損でなかったら文化庁は通常、日常管理で処理してくれと言うはずです。
また、問題は、わずか8センチのモルタルが文化財かどうかという、そんな小さなことではありません。
現在の天守閣の再建時に石垣の表面だけでなく裏側からも大量に充填されたモルタルの一部が落下したことが問題であり、また、雨が降った程度で崩れる劣化の激しい石垣があることも脅威です。
こうしたことが明るみに出れば、文化庁や石垣部会からも、大量に充填されたモルタルの調査の必要性や石垣の保全の際のモルタルの取り扱いや、石垣の劣化の程度が話題となり、今後のスケジュールにも大きく影響するでしょう。
万一、スケジュールが遅れないように「き損」を隠蔽しようとしたとしたら、市長に本質的な問題を伝えないまま、すべての責任を市長が負うことになってしまいますよ。
本当に大丈夫ですか。私は心配で心配でたまりません。
市長は以前、切腹するくらいの覚悟を持って木造復元を進める、と言われたことがありますが、今の体制では何かあったときは、切腹するのは市長だけですよ。
それから廣澤副市長さん。1週間かかって、あの程度の調査しかできないんですか。
例えば、今回2件のき損事故で「き損届」と「顛末書」がそれぞれ2通づつあるわけですが、11月10日に、モルタル落下のき損届を作成してから6日後にしか顛末書が作成できなかったことについて、観光文化交流局の職員から「き損届」「顛末書」の順番で作成する、と説明を受けましたが、私が調べてみると、台風によるき損では同日に作成され、「顛末書」「き損届」の順番でした。
こういう矛盾点を指摘できる私の調査能力の方が格段に上じゃないですか。私には、ちゃんと担当者に会って調査すると言った。
薄っぺらい経緯をもらって調査したなんて、調査じゃないです。疑問があると答弁したからには、自分で考えて行動してください。
次に、木造復元の考え方ですが、市長は「復元」と言ってますが、名古屋城の担当者は、今の検討内容は文化庁の基準でいう「復元」でもなく、「復元的整備」でもない、いわば間(あいだ)になるけど、文化庁とは擦り合わせはしたことがないといっていました。
最後に、観光文化交流局長。
市民の大切な税金を使って、議会との付帯決議を無視して100億の木材も買ってしまった状態で、木造復元を進めているという自覚を持ってください。
5月の文化審議会を死守するといった発言が、職員にどれだけのプレッシャーをかけているのか考えていただきたい。
名古屋城の職員は、先の見えない迷走と、想像できない業務量に皆、疲れ切っていますよ。
あなたが5月の文化審議会において解体申請を取り下げるきっかけにしたいと考えていることは手に取るようにわかりますが、解体申請の取り下げであれば、今でもできます。
早急に解体申請を取り下げて、必要な書類が整った後に、解体申請と復元申請をセットにして文化審議会に議題を提出すべきです。
審議会からの宿題を中途半端な報告書で審議会にかけてもらうつもりなら前回と同様な結果になると思います。
私は、5月の審議会にこだわらずまずあなたがやることは実績のある学芸員を増やしこういった黒い影を払しょくし信頼を得ることが木造復元への近道だと言って質問を終わります。